館主の日記帳

多趣味貧乏な館主の、どうでも良い日常記録です。

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単純なこと

今、この世に起きているすべての混乱。
何もかも、「争う」気持ちが原因なんです。
そして、その「争う」気持ちはいずれ「悲しみ」に変わるのです。
どんな人にも、その悲しみは一生ついて回るのです。

しばらく前の「ラジオ深夜便」で、松本零士先生の戦争体験談を聞きました。
その中で、松本先生がお父様に正された話を今も強く覚えています。
終戦後、生きるために米兵にすり寄って生きる女性たちの姿を見て、「いつかあいつらに仕返ししてやる」と思ったそうです。
そんな松本先生に、お父様は厳しい口調で言いました。
「仕返しをするとか復習してやるとか、そういう考えがあるから戦争が起こるんだ。そんな考えはするな!」
とても厳しく言われたそうです。

誰にでも腹のたつこと、怒りを覚えることはあります。
それを仏さまのように寛大に受け入れる、許すことは正直なところ簡単にはできません。
十分にそれは承知しています。

でも、全部が全部ではないと思いませんか。
抑えられる部分はあると思いませんか。
よく考えてみたら、別に怒りをあらわにする程のことではなかった…という物事は、日常にはたくさんあるはずで。
その小さな些細なことを抑えられたら、少なくとも争いの種は減るのではないかな。
ゼロにならなくても減らせれば、この世の大小の争いは減らせると思うのです。
小さな争いも連鎖すれば大きくなる。そうなる前の種を、芽生えさせないようにする。
大事な事だと思います。
戦争に発展してしまったら、個人では手に負えなくなってしまうのだから。

80年近く過ぎても、戦争の記憶に苦しむ人は世界中にいます。
私のように戦後生まれの人間で、戦争を経験していない人にも苦しんだ人の思いは押し付けられてしまう。
それでまた、傷つく人が居る。
くだらないことでしょう、戦争って。
こうやって時代が変わっても、人間が変わっても憎しみや悲しみが繋がってしまう。
勝ったとか負けたとか、そういうものに翻弄されて、残ったものは心身の傷だけ。
ばかばかしいったらないですよ?
だから、二度と起こしてはならないし、争いの種を蒔かないように一人一人が自覚しなきゃいけない。
もしくは種を蒔いてしまったら、それが芽を出さないうちに摘み取ること。
方法はいくらでもあるはず。
綺麗事だとか言う人も居るでしょうけど、そこで諦めても意味がないしろくなことはないし。
人間には知恵があるのだから、その方法を見つけることができるはずと思います。
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今昔雅楽集 二、舞の絵巻

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先週の土曜日に芸術館へ行ってきました。
今回見た…鑑賞したのはこちら、雅楽です。
雅楽!まあ、なんて高尚な!(笑)
昨年もこの時期に公演があったのですが、都合がつかなかったので今回はリベンジです。

会場に着いて並ぼうとしたら、あれ?列がないしスタッフの方もいないしホールのドアが閉まってる。
「次回の公演」のポスターが貼られているし、あれれ?と思ったらコンサートホール側にずらっと人の列が。
…あ、そうか雅楽ですもんね、音楽ですもんね、演奏会ですもんね。
いつも劇場ばかりだから、うっかり今回もそっちかと勘違いしてましたww
(だってたまに狂言でも謡とかあるから…)
それにしても、コンサートホール初体験です。
狂言や舞台ばかりを見てきたので、劇場の方がホームグラウンドって感じでしたから、ちょっと緊張してしまった。
しかも正面の4列目というお席だったし。
劇場と同じく円形(正確には六角形らしい)のホールです。キャパは700未満。明るくて上品な内装。
「ここで世界のオザワ指揮のオケとかやるんだよな、一体どんな感じなんだ…」
ちょっと想像つかないけど、ものすごい臨場感なんだろうなって気がします。

で、今回の公演。
第一部は演奏がメイン、第二部は舞楽がメインという構成です。
「今昔」とタイトルにあるので、想像していたものとはちょっと違う内容でした。
だけど、良い意味で裏切られた感じです。
古典中の古典、誰もが想像する雅楽の音ってありますよね。
笙の音がぷわーんと響いて、笛の音が重なり、ぽんぽんと鼓の音が鳴るような。
神社で宮司さんたちが奏でるような、ああいうやつ。
でも、今回は近代、現代の創作雅楽。
なので、正統派の和楽器を使用していながら演奏方法は斬新だったりするので、時々びっくりするような音が出るのです。
中国やインドなど、雅楽の源流と思われる音を想像しながら生まれたという「紫御殿物語・鳥瞰絵巻」
演奏される音は雅楽らしいあの音じゃなくて、無国籍なエスニックな、どこの国か分からない音。
架空の御殿で繰り広げられる不思議な宴-----。
まるでホールが異空間に変わったような気がしました。いやー、面白い体験でした。

第二部は舞楽。
こちらは古典的な雅楽と舞の組み合わせです。
「青海波」「蘭陵王」「落蹲」、最後に「長慶子」。
「青海波」は有名ですよね。源氏物語で光源氏と頭中将が舞ったアレです。
第一部とは正反対に、もうこれはまさに平安絵巻の世界そのもの!
舞われた方は普通の男性ですが(笑)、見る者を魅了した源氏と頭中将の舞う姿って、どんな感じだったんでしょうねえ。
衣装の美しさもこの「青海波」のみどころ。
お席が良かったおかげで、柄や細かい部分までじっくりと堪能する事が出来ました。
「蘭陵王」は、中国の高長恭がモチーフの舞楽。
先の「青海浪」と違ってこちらは一人で舞います。武将の舞なので、何となく剣舞の雰囲気がありますね。
「落蹲」は「蘭陵王」の対になる舞楽。
一見同じように見えて、細かい部分で違いがあります。私は素人中の素人なので、残念ながらそこまで理解出来ず…。
これからもっと勉強が必要ですね。
最後の「長慶子」は、雅楽公演の最後に演奏される曲だそうで、作曲はあの源博雅だとか!?

斬新な雅楽から優雅な舞楽、そしてラストに正統派の雅楽という、てんこもりなプログラム最高でした。
なかなか触れる機会がない雅楽。今後もチャンスがあれば楽しんでいきたいと思います。
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カーステレオ

もうすぐ車検です。2002年W杯イヤー生まれのMYデミオさん(毎回言ってるw)。
おそらく結構な出費になるだろうな…と予測していますが、まあ新しい車を買うよりは安いだろうと思うので。
色も形もサイズも何もかも、今のデミオさんを上回る車はないのです。
消去法で探すしかないのです。諦めるor妥協することが必須なのです…辛いMTドライバーの私( ̄◇ ̄;)。

そんなこんなですが昨年、ずっと気になっていたカーステレオを交換しました。
購入時の純正オーディオ(AM/FM/CD)に、当時はまだ主流だったカセットデッキをオプションでMDプレーヤーに換えてもらったものでした。
今やカセットもMDも過去の遺物的存在…
しかし、数年前からCDが突っかかって出せない事例が増えまして。
更にその後MDも同じような症状が出てきまして。
更に更に、CDの音飛びが異常なまで多発するようになり、殆どラジオしかマトモに聞けない状態が続いていました。
iPodをBluetoothで使うには別に良かったんですけど、買ったCDをすぐに聞きたいって時はちょっと不便。
微妙なストレスを抱えつつ騙し騙し使ってきたのですが、ようやく好みにあったユニットが見つかったので交換に至ったのでした。

新しく交換したのは、carrozzeria(パイオニア)のDEH4400
既に販売終了してる旧モデルだったので、オート○ックスで超バカ安!(8000円以下!)
システムはとってもシンプル。
AM/FM(ワイド)、CD-R/RW、iPhone/iPod/Android他App、USBデバイス。これだけ。
カセットもMDも聞かなくなったし、CDが聞けてiPodやiPhoneを使えてUSBも使えればそれで良いやって思っていたので、これで十分です。
(それに…いずれ車を買い換える時のことも考えて、高額なオーディオはいらなかったのです)
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音の方は全然問題無し!音響ってこだわり出したらキリがないですし、そこまで耳肥えていないし。
何よりCDが音飛びしないので快適〜♪ボリューム上げても気持ちいい♪
長年使ってきたシステムと操作が違うので、未だ戸惑うこともありますが。
本体と工賃と、空きスペースに小物入れ付けたりしても20000円掛からなかったです。
以前は2DINだったのが1DINになって見た目もすっきりしました。良い買い物した\( ̄▽ ̄)/
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ペットロスかなあ

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うちの猫たち。
ホントはもっとたくさんいました。

一番最初の子は、近所のおばあさんが飼っていた雄猫でした。
時々うちの庭にやって来て、時々おやつをあげたりもしてました。
しかし一人暮らしのおばあさんが亡くなってしまったので、可哀想なのでそれからご飯をあげるようになると居着くようになりました。

その後、この雄猫のところに白黒の雌猫が通うようになりました。
あまり人慣れしていなかったのですが、何となくこの猫もうちに居座るように。
そうして、雌猫が子どもを産みました。
白黒が3匹、黒が1匹。雄3雌1。
二度目に産んだのは、3匹。雄1雌2。
この時の雌1匹が雄3匹を産みました。
最終的に12匹の猫が我が家の家族として暮らしました。

写真の上左&下中右は最初に産まれた雄。
エイズキャリアで、2歳の頃に大手術をして「あとは生命力に任せるしかない」と言われましたが元気に長生きしてくれました。
上中&中右&下左の子は、その雄の妹(二度目の雌)。
上右&中左の子は、その雌の息子。
一昨年に最初の子が19歳で、今年の冬に雌の息子が20歳で、そして今月のGW明けに雌の子が21歳でした。

20年以上、ずっと猫が家族の一員でした。
必ず何匹か一緒にいました。
私の子どもの頃には既に猫がいて、近所の叔母の家にも猫がいて、その後犬を飼ったり小鳥を飼ったり。
何かしら生き物がうちにはいました。
でも、今はいません。
最後の子をこれまで一番穏やかな形で看取れたのは満足しているのですが、何かこう…猫の声が聞こえない日常が非日常な気がしています。

朝、ごはんくれーと鳴く声もなく、そのごはんの用意をする必要もない。
でもって、ちょっとした物音が猫の足音や鳴き声のように聞こえたりもします。
いないって分かってるんですけどね。哀しいとか辛いとかじゃなくて、手持ち無沙汰な感じ。
19歳の子が死んだときは結構なロスで、1年以上過ぎても泣いてしまうこともあって。
それも他の子がいてくれたから落ち着いたのですが、それももういないから…毎日物足りなさを感じています。
まあ20年以上ですもんね、仕方ないですね…。

また新しい家族を迎えるご縁があったら良いな。
可愛がってきた子たちへの思い入れは深いけど、それとはまた違うのです。
いなくなったら次の子へ、という感覚は賛否あるかもしれませんが、きっとマッキーの「もう恋なんてしない」の最後のフレーズそのものじゃないかなと、周囲でペットを見送った経験のある友人たちを見ても思います。
ペットという家族が与えてくれた楽しさは消えないものだから、傍らにまた一緒に過ごせる子が来てくれるのを静かに待っています。
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元号

4月1日。新元号の発表で日本列島朝から晩まで大騒ぎでしたね。
私はといえばいつも通り明け方まで仕事だったので、「ま、起きたら決まってるな」的な感じで昼過ぎまで寝てました(笑)。
で、起きてテレビをつけて(おそらくどこのチャンネルもこの話題だろと)、「あ、へー」というのが第一印象でした…。
「和」は十分アリだなと予測はしてたけど「令」は予想してませんでしたね。
書類で元号をローマ字の頭文字に略したとき、明治=M、大正=T、昭和=S、平成=Hになるので、さ行、た行、は行(ふを除く)ま行はないだろうと思いましたが。

うん、初見では「へえ…」って印象でした。
まあ実際のところ、今まで聞いたことのない新しい言葉に出会ったら、誰でもそんな感じなんじゃないでしょうか。
でも、ちゃんと意味や出典を聞いた後にこの元号を見ると、「ほー…」と関心してる自分がいました。
ご存知の通り出典は万葉集。
残念ながら古典の知識はあまりない私でも、目で言葉を追うだけでその情景が浮かんできました。
初春に咲いた梅の花を愛でるために開かれた宴。
女性の白粉のように咲く梅の花、柔らかい風に漂う蘭の花の香り。
そのあとに続く文も含めて、何て雅やかで和やかな清々しい文なんだろう---------と、思ったのでした。

お偉いさん方の裏事情とかは正直どーでもいいです(笑)。
けれど、この文を出典に選んだのは「センス良いな」と個人的には思いました。
和歌(今回のは正確に言うと歌ではないですが)って、美しいな。
比喩的表現がとても好きなので、和歌の言葉の描き方って本当に美しいです。
つか、数年前からどーも万葉集に縁が深いわ(柿本人麻呂の「鳴る神の〜」ねw)。