館主の日記帳

多趣味貧乏な館主の、どうでも良い日常記録です。

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元号

4月1日。新元号の発表で日本列島朝から晩まで大騒ぎでしたね。
私はといえばいつも通り明け方まで仕事だったので、「ま、起きたら決まってるな」的な感じで昼過ぎまで寝てました(笑)。
で、起きてテレビをつけて(おそらくどこのチャンネルもこの話題だろと)、「あ、へー」というのが第一印象でした…。
「和」は十分アリだなと予測はしてたけど「令」は予想してませんでしたね。
書類で元号をローマ字の頭文字に略したとき、明治=M、大正=T、昭和=S、平成=Hになるので、さ行、た行、は行(ふを除く)ま行はないだろうと思いましたが。

うん、初見では「へえ…」って印象でした。
まあ実際のところ、今まで聞いたことのない新しい言葉に出会ったら、誰でもそんな感じなんじゃないでしょうか。
でも、ちゃんと意味や出典を聞いた後にこの元号を見ると、「ほー…」と関心してる自分がいました。
ご存知の通り出典は万葉集。
残念ながら古典の知識はあまりない私でも、目で言葉を追うだけでその情景が浮かんできました。
初春に咲いた梅の花を愛でるために開かれた宴。
女性の白粉のように咲く梅の花、柔らかい風に漂う蘭の花の香り。
そのあとに続く文も含めて、何て雅やかで和やかな清々しい文なんだろう---------と、思ったのでした。

お偉いさん方の裏事情とかは正直どーでもいいです(笑)。
けれど、この文を出典に選んだのは「センス良いな」と個人的には思いました。
和歌(今回のは正確に言うと歌ではないですが)って、美しいな。
比喩的表現がとても好きなので、和歌の言葉の描き方って本当に美しいです。
つか、数年前からどーも万葉集に縁が深いわ(柿本人麻呂の「鳴る神の〜」ねw)。
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見上げてごらん夜の星を

夜、駐車場に出て空を見上げてみました。
夕べから朝にかけては台風並みの暴風雨でしたが、午後になってすっかり晴れたので星が見えます。
午後9時、明かりもまばらになってきました。
黒い空に星が輝いているのが見えます。

ああ、星が見えるなあ。
でも、もっとあの日はたくさん見えたなあ。
8年前も、確かこれくらいの時間に空を見上げていたと思います。
家の中がぐちゃぐちゃで、電気も水もないから自宅前にある会社の駐車場に車を停めて、母とその中で過ごした2日間。
何もすることがなくて、夜にふらっと外に出て近所の様子を見てまわりました。
電灯も着いていない、窓から漏れる明かりはぼんやりとしたもので、おそらくロウソクや非常用のランタンなどの明かりだったのだと思います。
歩きながら、ふと見上げた真っ暗の空に広がっていた星空。
まるでプラネタリウムを見ているかのような、無数の星。
こんなに星が綺麗に見えるんだと驚いたと同時に、その理由が街の灯りがないということにも気付きました。

この時期、あの頃の話をいろいろなところで聞きます。
私と同じように、あの日の星空の美しさを思い出す人もたくさんいるようです。
昨日もラジオでそんな話を聞きました。
まるで、「見上げてごらん夜の星を」の歌詞そのもののお話。
でも、あの日もそんな風に空を見上げていたかなあ?
私は星が綺麗に見える理由について、色々考えてしまいました。

町から電気が消えて、辺りが暗くなって、だからこんなに夜空の星が綺麗に見える。
と同時に、この星が見えづらくなるくらい、人工的な明かりに日々頼って来ていたのだなあと。
昔の人たちはこれが当たり前だったのだろう。
こんなに夜を明るくする必要って、果たしてあるんだろうか、って。
夜を明るくすることは、防犯には大切なこと。
だけど自然なことではないんだな、と思ってしまう自分もいる。
どちらが正しいのか……なんてことを、車の中で考えたりしていた3.11の夜でした。

答えは8年過ぎても出ないし、永遠に出ない答えかもしれません。
ほんとうの幸いってなんだろう。
-------わからない。それが正論なのかもしれないですね。
ただ、8年が過ぎてあの歌の歌詞を、落ち着いて反芻することが出来る自分がいます。
小さな星、小さな明かり、それは明るい夜には見えづらいかもしれないけれど、必ずそこにあるもの。
形がなくても、そこにあったものは記憶としてそこにずっとある。
いいこともわるいことも、抱えて生きて行くのが私たちの使命でもあるかも。
次の世代に伝えていかねばならない、と思います。

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古典芸能への招待

毎月最終日曜日の夜は、Eテレで古典芸能の放送があります。
歌舞伎だったり能だったり文楽だったり…と様々な古典芸能が楽しめるので、私にとってはプレミアムサンデー的な感じです。
昨日の放送は、能と狂言。
「柿山伏(狂言)」「附子(狂言)」「葵上(能)」の三演目。
後ろの二作品は、能狂言では定番中の定番のタイトルですね。「附子」は学校教育で触れる機会も多いと思います。

いやー、懐かしかったです。
私も最初に生で見た狂言は「附子」でした。2004年のことです。
「附子」と能の「葵上」。まさに今回放送された演目が、私の初・生能狂言だったのでした。
しかも能の「葵上」は、当時と同じ宝生流。思い出深いです。(※当時の「附子」は和泉流でした)

あれからもう15年です。
それまでに、いくつの演目を見て来たでしょうか。
こんな風にテレビでの観劇が当然だったのも昔の話。今ではあきらかに生で見る狂言の舞台の方が多いです。
毎年春と秋の2回。それを繰り返して今年で15年。
去年の春は残念ながら取れなかったチケットですが、今年は!ちゃんと!GETしてあります!\( ̄▽ ̄)/
IMG_0810.jpg
久々の3列目真正面でーすv。
「靭猿」も定番の演目ですね。どなたかの息子さんが舞台に立たれるのかな?
そういえば、この「靭猿」の初舞台に一喜一憂していた裕基くんが、もう立派な狂言師になっちゃって…。
お姉ちゃんも綺麗になっちゃって…こっちが年取るはずだわ(親戚のおばはんかw)。

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節分でしたね

一昨日は節分でした。
こういう行事は欠かさない我が家。神社にお参りに行って福豆をいただき、古いお飾りを納めて新しいお飾りを買って帰ります。
帰宅したら豆まき。居間、台所、水回り、車庫など各部屋に加えて、猫の寝床まで豆まきしますw
あと、けんちん汁を作ってお蕎麦と一緒に神棚にお供えします。
ひととおり、こういう感じの節分です。

そういえばお参りを終えて社務所で福豆を頂いたとき、御朱印の張り紙に気付きました。
御朱印集め流行っていますが、私が集め始めたのは最後に上洛した時期なので8年ほど前。
それっきり上洛していないので、朱印帳が全然埋まっておりません!
まあ、埋めればいいとか集めれば良いってわけじゃないのですけれどね…御朱印て。
でもせっかくなので、上洛することは無理でも出掛けられる範囲の中で、あちこち伺って歩こうかなと思いました。
…で、神社に貼ってあった御朱印の案内ですけれども、その神社の御朱印を頂けるのは当然ですが他にも6つくらい種類があって。
よく見たら、近所(というか同じ地区内)の神社の御朱印もここで扱っているようでした。
うちの地域は小さな神社が結構たくさんありまして、殆どが無人なんですよね。
そういうところって御朱印はないのかなー。それともどこか別の場所でもらえるのかなーと気になってはいたのですが、ここで頂けたのね…。
何かと行事の際には伺う神社なので、次の機会には朱印帳持参で行こうと思います。

あと!よく考えたら我が家の菩提寺の御朱印を頂いてなかった!
一番お世話になっているのに、頂いておかねばならんわ…。
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責任

2019年に入ってまだ1ヶ月終わらないというのに、今月は心身共に疲労がたまることばかり続いています。
厄年でもないのになあ…と空を見上げてしまう始末。
救急外来、深夜の救急外来、救急車にも乗りました。
人間に限らず、動物病院へも毎日通いました。
そして、ひとつの役目が今日終わりました。
ペットを飼うということは、最期を看取る責任を果たすことだと思っています。
天国へ旅立つその時まで、ずっと一緒に生きることが飼い主の絶対条件であり、必ず果たさねばならない責任です。
一昨年の秋に19歳で最長老の猫を看取り、今回の子も19歳くらいかなあ。
4〜5日入院していましたが完治は不可能な悪化状態で、このまま治療してもどこまで回復するか分からない。
毎日の面会で目に見えてぐったりしているのが分かったので、これ以上無理はさせず自然に任せて自宅に連れて帰りました。
何よりも、知らない人ばかりが行き来している病院のケージの中でひとりぼっちの姿が可哀想で。

午前中に呼吸がちょっとおかしいと思いずっと見守っていましたが、私が数時間外出して帰宅する数分前に母が看取りました。
家で過ごしたのは数日でしたが、最期をここで迎えられて良かったかな…。
病院にいるときよりも表情は穏やかで、ときどき鳴いたりもしたし。
最期に母猫に会わせたときはかぼそく鳴いて返事したりしてたので、あれがお別れの挨拶だったのでしょうか。
私たちの選択が正しかったのか、本人(猫)が希望する選択だったのか分からないですけど、飼い主としての責任は全うできたかなとは思います。

母猫はこの子より上なので…もしや20歳超えてるかもΣ(・ω・ノ)ノ!
昔飼っていた犬が18歳、そして猫たちが19歳の天寿だったので最長記録かもしれん!
みんなの分も更に記録のばしてもらいたいものです。